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高知県の山、そのまた山のてっぺん標高830mで育ちました。
<てっぺんとまとの生まれ故郷>
高知県仁淀川町
町土の90%近くが森で覆われた四国山脈の
ど真ん中。
山脈に深い谷を刻みながら南下する清流・
仁淀川が東西に流れ、町全体が国立公園の
ような美しい自然に恵まれたところです。
てっぺん山
ふもとには高知県立自然公園に指定されている中津渓谷。
そこから約10㎞上へ上へあがっていくと、標高830mの
地にトマトハウスがあります。
山脈に深い谷を刻みながら南下する清流・仁淀川が東西に流れ、
町全体が国立公園のような美しい自然に恵まれたところです。
1996年、「最初は、こーんな山の上で、夏の高糖度トマトが
できるわけがない」と言われたがよ。
そこは、南向きの山。さんさんと降り注ぐ太陽。
昼夜の温度差が15℃以上で、岩や石がゴロゴロした水はけのよい土壌。
それは、トマトの原産地アンデス地方の自然環境と似ている。
「この地なら、絶対美味しい夏のトマトが作れるはずやき」
という会話がありました。
てっぺんとまとの生みの親:西森 常晴
27歳で生まれ育った仁淀川町へUターン。
佐川町・越知町・仁淀川町で組織する高吾北広域町村事務組合の中枢を成す事務局の
事務局長に上り詰める。
1995年、旧吾川村の村長選に出馬するが、敗れる。
その時、地に足がついた町づくりを目指し、過疎が進む中で「産業を興す」ことが重要と
考えていました。
翌年、それを自らが実行すべく、山のてっぺんで「当時絶対に不可能」と言われた
夏の高糖度トマトの栽培の挑戦が始まりました。
最初は、収量も糖度も上がらず、
苦労の連続でした。
そして、一冊の本との出会いから、
化学的な肥料や資材、農薬に
頼らない自然農法を実践し
始めたのでした。
様々な記録を取り、研究の日々が続きます。
・天気、昼夜の温度
・ハウス内の最低・最高温度
・トマトの節間を計測(伸びの大小で成長を確認するため)
・潅水時間と水量
・詳細な栽培履歴と散布記録
・開花から収穫までの積算温度、日数と糖度。
など
安定した収量と高糖度トマトを作り出すには、10年という年月がありました。
人々は、いう。
何事も絶対にあきらめない「情熱の男」「頑固一徹」「一切の妥協を許さず、全身全霊で正面から向き合う」
そして、「この人なら絶対にやりきるだろう」と。
こうして、全国でも先駆けて夏の高糖度トマトの栽培を見事に成功させていったのでした。
「地力に優る技術なし」
西森は、「人が作り出す技術はない」と考えています。
そして 人は、「食」が命、植物は「土」が命、と考えます。
仁淀の水と土を知り尽くした生産者は、この地の「地力」を最大限に生かし、土づくりに命を懸けます。
▶生産者・西森のPhilosophy
てっぺん山の向こうにそびえたつ標高1541mの
明神山から吹いてくる風が厳しく、この土地で
農業を営むのは過酷だといわれています。
そんな過酷な生育環境で生き延びて実ったトマトは、生命力が
みなぎり、力強い。
枯死寸前まで追い込まれたトマトは、種を残そうという力で、
本物のトマトとなるのです。
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